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更新日:2024年1月1日
「目で見る浜松の歴史」
静岡県西部、天竜川中流域から浜名湖・遠州灘までを擁する、浜松という地域の数万年にわたる地域史を、収蔵品を中心にご紹介しています。
注目していただきたい資料については、逸品陳列とし、随時入れ替えをしています。
室内には解説コーナーも設けています。
浜松市博物館は、浜松市が市制百周年を迎えた平成23年(2011年)にリニューアルオープンいたしました。新しくなった展示室では、展示資料をじっくりと見やすいレイアウトと、映像資料なども取り入れて、みなさまをお迎えいたします。
浜松市博の歩み |
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昭和30年(1955) |
蜆塚遺跡の発掘調査開始 |
昭和33年(1958) |
浜松市立郷土博物館開館 |
昭和54年(1979) |
浜松市博物館として、現在位置に開館 |
平成17年(2005) |
12市町村広域合併により、歴史系広域博物館群を構成 |
平成23年(2011)3月19日 |
常設展示リニューアルオープン |
展示室内をモノトーンでカラー・コーディネートし、陳列した実物資料への注目を高めました。解説コーナーやなつかしい映像をご覧いただけるコーナーも設け、みなさまをお待ちしています。逸品陳列コーナーは、時期を定めずに新着資料と入れ替えていく予定です。
浜松在城期の徳川家康についてご紹介します。
静岡銀行から寄贈された江戸時代の大判・小判を陳列するコーナーを新設しました。
市内鳥居松遺跡から出土した国内に例が無い古墳時代の金銀装大刀(静岡県指定有形文化財)など最新資料を陳列します。
縄文時代の弓矢が、シカの毛皮と臀(でん)部(ぶ)を貫通して、骨を突き通すほどの威力を持っていたことを示す資料です。また石鏃の周りの骨が盛り上がっていることから、このシカは、矢を受けつつも致命傷とならず、縄文人の狩りから逃れて、生き延びていたこともわかります。
石鏃が刺さったシカの腰の骨
紀元前10世紀、まず北部九州に伝えられた水田で稲を育てる技術(水稲農耕)は、その後600年をかけて浜松にも伝えられました。
木製農具(岡の平遺跡)
国家の形が見え始めた古墳時代の浜松には、多くの古墳が造られました。日本に都が造られた律令時代の浜松には、役所(郡衙)が設けられて文字が使用されました。また、瓦を葺いた立派な寺院が造られました。この古代の様子を発掘資料を中心にご紹介します。
「濱津」の地名が見える木簡
(伊場遺跡19号木簡)
浜名区馬場平古墳出土遺物
(銅鏡・銅鏃・巴形石製品)
鎌倉~戦国時代の浜松は、行き交う旅人も多く、にぎわっていました。南北朝時代の浜松は、南朝と北朝の攻防の舞台でもありました。戦国時代には、名だたる武将たちがかけひきを繰り返しました。市内の著名な武将の軌跡や、にぎわいのようすをご紹介します。
中央区頭陀寺町伝松下屋敷跡出土
かわらけ
近世では、徳川家康が江戸幕府を開き、全国の鉱山を掌握、貨幣を統一しました。幕府は、財政の悪化や、金・銀・銅の産出量低下に苦しみ、貨幣の質を密かに操作することで、問題の解決を図ろうとしました。そうして生み出された様々な貨幣を、静岡銀行より寄贈されたコレクションを中心に、ご紹介します。
享保大判
天保五両判
浜松市の近現代というと、あまりピンとこない方が多いかもしれませんが、幕末には「遠州報国隊」のように時代の流れから生まれた有志隊があり、隊員の中には新政府と深く関わりを持った人達もいました。また歩兵第六十七連隊や飛行第七連隊などが置かれ、第2次大戦中には国内でも有数の軍事都市になっていました。
そのほか、あまりよく知られていない幕末から現代に至るまでの浜松市について、ご紹介します。
遠州報国隊・陣羽織
濱松歩兵第六十七聯隊真景
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