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更新日:2013年11月18日
浜松市文化財情報/Vol.70
Vol.70平成25年11月15日
村上遺跡は北区三ヶ日町の岡本地区にある遺跡です。この遺跡は、平成22年の分布調査で新しく発見されました。岡本地区には多数の遺跡があり、近くには、平成22年に発掘調査が行われ、1,300年前の奈良時代の瓦が大量に出土した楠木遺跡があります。
発掘調査は道路の拡幅工事に先立ち、7月と9月~10月にかけて実施しました。調査面積は約66平方メートルです。遺跡は現在の地表面から約2m下にあり、一帯が大きく埋め立てられていることがわかりました。遺跡のあった当時は、浅い谷状の地形になっていたと考えられ、発掘された小穴の中から、奈良時代の須恵器の盤、土師器の甕、小型の手づくね土器などが出土しています。手づくね土器は、実用品ではなく祭祀などに用いられる特殊な土器で、周辺で奈良時
代に何らかの祭祀が行われていたと考えられます。
また、古代の土器の他に、鎌倉時代から江戸時代の土器も多数出土しています。土器は山茶碗、甕、天目茶碗、内耳鍋など日常生活に用いられたものです。今回の発掘現場の前にある道を北上すると、三ヶ日地区の古刹の一つである大福寺の門前に至ります。現場の近くには、秋葉常夜燈が残っていることから古くからの街道筋に当たると推定されます。多数の中近世の土器は、大福寺への参道沿いで賑わった周辺の集落で使われたものと考えられます。
天目茶碗出土状況
石岡遺跡は、北区細江町三和にあります。調査は今年の7月、約120平方メートルの範囲で行いました。
遺跡は台地上にあり、眺めがよい場所に位置します。調査では、三日月状に曲がる溝のほか大小の穴などが見つかりました。溝の両端は削られていましたが、谷筋へ向かって伸びていることから排水路としての役割が推定されます。出土した遺物は、古墳時代中期の台付甕をはじめとする土器で、須恵器が出現する前の時期のものです。土坑(穴)からは、ほぼ完形の小型壺をはじめとする土器とともに、ガラス玉が6個出土しました。ガラス玉は薄い水色で、腕や首を飾る装飾品の一部と考えられます。これらの遺物から、土坑はお祭りに関するものかお墓の可能性があります。
近くで2006年度に行われた調査では、住居跡がたくさん見つかっていることから、集落の中心部分と考えられます。よって今回の調査地点は、集落のはずれの部分と考えられます。
美術館では、今年の3月に指定文化財に登録された《蟲魚帖稿(ちゅうぎょじょうこう)》を、指定後初めて展示します。
《蟲魚帖稿》の作者、渡辺崋山(わたなべかざん、1793-1841)は、幕末に三河国田原(たはら)藩の重臣として活躍した武士です。画家としてもよく知られており、海防掛(かいぼうがかり)時代に本格的に蘭学を学んだことから、西洋画法を取り入れた写実的な作品を描きました。
《蟲魚帖稿》は、重要文化財《蟲魚帖》の下絵(原稿)です。《蟲魚帖》は、身の回りの虫魚草木を緻密(ちみつ)に写生した絵と、画題に対応する漢詩をあわせて一帖に仕立てた、崋山の花鳥画の代表傑作です。《蟲魚帖稿》は、ほとんどが墨で描かれた簡素なものではありますが、下絵ならではの生き生きとした筆遣いが感じられます。
また、蛮社の獄(ばんしゃのごく)(幕府の鎖国政策を批判した罪)でとらえられ、蟄居(ちっきょ)処分(部屋に謹慎(きんしん)させられる刑)となった崋山は《蟲魚帖》完成の40日後に自刃(じじん)(自殺)しており、晩年の崋山の心情を垣間見ることのできる、歴史的にも大変貴重な資料です。
今回の展覧会では、重要文化財《刺繍不動明王二童子像》も展示されます。この貴重な機会に、ぜひご覧ください。
《蟲魚帖稿》洗手露蜒図(せんしゅろえんず)(鶏頭に蜻蛉(けいとうにとんぼ))
館蔵品展「館蔵日本画・洋画・夢の競演展」
開催期間:平成25年12月10日(火曜日)~平成26年1月8日(水曜日)
開館時間:午前9時30分~午後5時
休館日:月曜日(ただし23日は開館し翌休館)、12月29日~1月3日
観覧料:大人300円、高校生150円、中学生以下・70歳以上・障害者手帳所持者等は無料
問合せ:浜松市美術館(浜松市中区松城町100-1、TEL.053-454-6801)
10月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(火曜日) |
東区市野町 |
田見合遺跡予備調査 |
---|---|---|---|
北区引佐町 | 木造釈迦如来及両脇侍像現状調査 | ||
6日 |
(日曜日) |
浜北区染地台五丁目 |
浜松古墳まつり(つみいしづか広場) |
9日 |
(水曜日) |
北区引佐町 |
天白遺跡予備調査 |
10日 |
(木曜日) |
西区・雄踏文化センター |
講座「北遠の城」参加96人 |
11日 |
(金曜日) |
北区細江町 |
無形民俗文化財保護団体連絡会総会 |
13日 | (日曜日) | 北区引佐町 | 横尾歌舞伎伝承状況現地調査 |
15日 |
(火曜日) |
南区高塚町 |
高塚遺跡予備調査 |
北区・浜北区 | 歴史的建造物現状調査 | ||
17日 | (木曜日) | 西区雄踏町 | 農村歌舞伎活性化プラン映像作成立会い[21日・30日] |
19日 |
(土曜日) |
静岡市 |
静岡県文化財等救済支援員理事会・総会 |
22日 |
(火曜日) |
北区細江町 |
木造馬頭観音坐像現状調査 |
天竜区佐久間町 | 川合花の舞伝承状況現地確認 | ||
25日 |
(金曜日) |
北区細江町 |
東林寺山門保存修理委員会 |
27日 |
(日曜日) |
中区佐鳴台 |
地域回想法講座準備会 |
31日 |
(木曜日) |
北区三ヶ日町 |
摩訶耶寺庭園・長楽寺庭園現状調査 |
埋蔵文化財工事立会
2日 | (水曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡 |
---|---|---|---|
3日 | (木曜日) | 北区引佐町 | 金指陣屋跡 |
4日 | (金曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡 |
7日 | (月曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡 |
8日 | (火曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡 |
23日 | (水曜日) | 浜北区於呂 | 芝本遺跡 |
講師:夏目琢史氏
講師:糟谷幸宏氏
(この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています)
古来より多くの地震や津波被害を受けてきた浜松地域では、古文書や古絵図だけでなく、神社などの言い伝えが各地に残っており、文字などに依らない人々の記憶からも、過去の災害について知ることができます。例えば、南区高塚町の熊野神社では、この地の神主が高い丘を作って人々を救った夢を見たため、村人が神社の裏山に土を盛ったところ、その後安政の大地震で津波が来たときに、村人はこの地に避難して救われたという伝承があります。また、大津波が来てほとんどの村人が亡くなったため、生き残った村人がこの地に亡くなった人たちを葬り、浜から砂を運んで高い塚をつくったことから、大きな墓(大墓(おおつか))→高塚と呼ぶようになったのが地名の由来とも言われています。(※現在も、盛土された場所が「お宮の山」として残っています。)
熊野神社
また、北区細江町気賀の細江神社は、元々荒井(新居)の地で浜名湖入口の守護神として信仰されていた角避比古(つのさくひこ)神社の御神体が、明応大地震(明応7年・1498)の津波により伊目の十三本松に漂着、その後永正7年(1510)の大津波で気賀上村の赤池に漂着されたのち現在の地に御遷座し、祀られるようになったのがはじまりとされています。明応と永正の、2度の地震や津波の災禍を乗り越えられたことから、地震厄除の神社として信仰があります。角避比古(つのさくひこ)神社の御神体が漂流し、御神体となったたという伝承は、西区村櫛町の八柱神社や西区古人見町の若御子神社にも残っています。特に村櫛町は、応永もしくは永正の大津波によって、新居から村ごと越してきたという伝承が残っており、「村越し」が「村櫛」の地名由来になったとされています。
このような伝承は、あくまで伝承であり不確かな点を多く含んでいるかもしれませんが、各地の地名などを見ていくと、過去に災害があったという記憶を、確実に刻み込んでいるといえます。
細江神社
去る11月9日、水窪町にて「浜松戦国山城まつり」が盛大に開催されました。天候にも恵まれ、晩秋のさわやかな紅葉の中で「高根城」の見学会、戦国衣装を身にまとっての撮影会や浜松アイドルユニットH&A.のライブ、出世大名家康くんの登場など盛りだくさんで今年も盛況に終えることができました。ご来場の皆さん、ありがとうございました。
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