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更新日:2024年1月1日
「地域の人たちの小さな声を聞き、記録し続ける」
南に大きく開けた山の中腹に小林さんの家はあります。玄関の前にはシカの骨や、メダカが泳ぐ水鉢が並び、谷の向こうには日に照らされ輝く杉林が幾重にも重なり、見飽きることのない風景を作り出しています。
小林さんが初めて引佐地域を訪れたのは、大学生のとき。農村体験事業「緑のふるさと協力隊」として1年間住み込みで活動しながら、豊かな自然や祭りの文化に触れたことで、引佐にどんどんひかれていきました。大学ではランドスケープ(造園)の勉強をしていたこともあり、久留女木の棚田の水利形態など、引佐を題材にいくつもの論文を執筆。大学院の卒業と同時に山いき隊へ応募したことは、小林さんにとって自然な流れでした。
「長野や東北など、他の地域も検討しましたが、小さな頃から虫が好きで、たくさんの生き物が生息する引佐は僕にとって宝の山だったことも引佐に決めた理由の1つです」。そう言って、タガメの標本や、生きたクワガタを見せてくれました。
着任後、小林さんはすぐに動き出します。農作業やお祭りの手伝いをしながら、スタンプラリーを企画。それまでもイベントは開催していたものの、訪れるのはリタイア世代ばかりでした。
「もっと若い人たちにも来てほしいと、僕がイラストを描いて、チラシをデザインしました。イベントは地元の中高生にも手伝ってもらい、無事成功。切り口を変えれば、若い人たちを呼ぶことができることを、地元の人に知ってもらえたのもよかったですね」
さらに、このイベントに参加した引佐を離れ市街地に住む若者たちが、廃校になった母校で音楽イベント「ヤマノハコ」を企画したことも、小林さんにとってうれしいニュースでした。
2年目には、引佐の魅力を伝える「山の新聞いいとこまんじゅう」を発行。農作業の合間に話を聞き、写真を撮りながら、3か月に1回のペースで制作。7号目からは協力者が現れ、現在ものんびり発行を続けています。
3年目になると小林さんの活動の範囲が広がります。子供たちが地元を離れたとき、自分の町を説明できるようにと、自らドローンで撮影した引佐の風景を題材に小学校で授業を行ったり、年配の人たちが交流するサロン活動に参加して、村に残るお葬式の風習を紙芝居に残したり。引佐に当たり前にあるけれど、よその人から見たら豊かに見えるいくつもの魅力を、さまざまな形で伝えていきます。
山いき隊の活動中に、遠距離恋愛していた彼女と結婚。昨年の秋には男の子も誕生しました。
「東京に住んでいた頃よりもご近所づきあいができています。何より、周りの方たちがうちの子を自分の子供のように可愛がってくれるのがうれしくて」と奥さま。
任期後も引佐に残ることを決めた小林さんに、山いき隊の魅力を尋ねてみました。
「山の新聞や地域の風習を描いた『いなさカルタ』など、商業的に見るとお金にならないことも、時間をかけてじっくり取材し、形にできるのがいいところですね」
地域を駆け回り、地域の人たちの話を一つひとつ集める小林さんの活動は、引佐の自然、歴史、文化を記録する民俗学者のようでした。
9時00分 | デザイン制作・自宅 |
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12時00分 |
昼食・自宅 |
13時00分 | 棚田をドローンで空撮 |
16時00分 | 山の新聞編集会議 |
18時00分 | 子供と散歩 |
1989年生まれ、埼玉県所沢市出身。大学でランドスケープ(造園)を学ぶ。2015年7月、山いき隊に着任。独学でデザイン、写真、ドローンを学び、引佐の情報を発信。
(2018年6月隊員任期終了)
自ら取材、撮影、デザインをした「山の新聞いいとこまんじゅう」。引佐への愛情が込められた、読み応え満点の新聞。
昨年の秋に誕生した第1子。父親の働く姿を見ながら、地域の人達に見守られてすくすくと成長中。
家の前に借りた土地でメダカを飼うため、池を制作中。ないものは自分で作るというスタイル。
400年以上前から続く、五穀豊穣、子孫繁栄を祈る祭「川名ひよんどり」にも地元衆として参加。
地域PRイベントでインタビューに対応。
川名や寺野のひよんどり、久留女木の蛇踊りなど、毎月なんらかの神事が行われるほど、多様な文化が今に残る地域です。山に生えるクロモジの葉を手摘みにして作ったクロモジ茶は、ハーブティのように甘い香りがしておすすめです。
蛇踊り
久留女木の棚田
クロモジ茶
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