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更新日:2016年8月2日

女城主井伊直虎ゆかりの地浜松

第4回 直親の死(2016年7月27日投稿)

直親の死

永禄3年(1560年)「桶狭間の戦い」で直盛(直虎の父)は、今川義元に従い出陣することになりました。織田信長軍と壮絶な戦いを繰り広げましたが、義元と共に戦死。直盛の養子となっていた直親が井伊家当主を継ぐことになります。

その一年後の永禄4年(1561年)、直親は井伊家待望の男の子を授かりました。名前を虎のように強く、常磐の松のように栄えることを願って「虎松(のちの徳川四天王・井伊直政)」と名付けられました。しかし、幸せな時間は続きません。虎松誕生直後の永禄5年(1562年)、今川氏真は直親が徳川家康と親密にしているという噂に腹を立て、掛川城主「朝比奈泰朝(あさひなやすとも)」に命じて、直親とそのお供18人の家臣を殺害してしまいました。このとき直親の息子も殺せとの命令が下りましたが、今川氏の家臣で直虎の伯父・新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)が味方し、命をかけて虎松を守りました。

直親の遺体は現在の浜名区細江町へ運ばれ、火葬された後、墓が建てられました。石碑の前の灯籠は、嘉永4年(1851年)、井伊直弼によって寄進されました。

初山宝林寺

今回のおすすめ周辺情報は、浜名区細江町中川にある初山宝林寺です。寛文4年(1664年)、独湛禅師(どくたんぜんし)によって開創されました。境内の建物は中国明朝風の建築様式で建てられていて、当時の面影を残しています。また、独湛禅師が中国から持参したとされる「金鳴石」も有名。小石で打つと、澄んだ綺麗な音が鳴ることから金(かね)がなる石と言われ、金運成就の石として多くの人がお参りに訪れます。

【初山宝林寺】
浜松市浜名区細江町中川65-2

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