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更新日:2017年1月5日

女城主 井伊直虎 ゆかりの地浜松

井の国から直虎物語≪特別編≫井伊直虎の生涯

戦乱の世を駆けた“女城主”井伊直虎の生涯

いよいよ1月から、浜松を舞台にした大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送がはじまります。そこで今回の「井の国から 直虎物語」は特別編として、改めて直虎の生涯を簡単にご紹介します。

井伊直虎は、井伊氏の22代(※1)当主・直盛(なおもり)の一人娘として誕生しました。

直虎の誕生以降、井伊家では、立て続けに悲劇が起こります。父・直盛や曾祖父・直平(なおひら)などの戦死。さらに、井伊家を継いだ幼い頃の許婚(いいなずけ)・直親(なおちか)も殺害されてしまいます。およそ20年の間に、井伊家を継ぐ男子は、わずか4歳の虎松(とらまつ)(直親の息子。後の井伊直政(なおまさ))ただ一人に。直虎は、虎松と井伊家を守るため、井伊谷城の城主となります。
しかし、翌年には今川氏真によって井伊谷周辺に徳政令(※2)が出され、さらに2年後には、城主の座から追われてしまいます。

直虎や龍潭寺(りょうたんじ)(井伊家の菩提寺)の南渓和尚(なんけいおしょう)たちは、井伊家復活のため、遠江の領有を安定させていた徳川家康に従うことを決めました。

1575(天正3)年、虎松を彼の母の再婚先・松下氏のもとへ養子に入れます。そして、松下氏の力を借りて、家康に会うことができるよう計画。15歳の虎松は「万千代(まんちよ)」の名を与えられて家康に仕え、井伊谷に領地を持つことを許されました。

こうして、井伊家を再興させることができた直虎。万千代の活躍を見守りながら、1582(天正10)年、40数年といわれる生涯を閉じました。井伊家歴代当主としては数えられていない直虎ですが、井伊家の歴史と、戦国時代の遠江を語る上で欠かすことのできない人物として、注目されています。

※1 井伊氏の系図には諸説ありますが、ここでは22代とします。
※2 民衆を救うため、大名などが寺社や商人へ借金の帳消しを求めること。この時は、領内を混乱させ、井伊家の力を弱めることが目的だったといわれています。

(広報はままつ2017年1月号)

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