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更新日:2016年11月7日

女城主 井伊直虎 ゆかりの地浜松

直虎物語『執筆後の余話』

(1)9月17日(土曜日)、御前崎市新野で「新野左馬助(にいのさまのすけ)公御命日記念事業」が盛大に催されました。私も招待を受け、参列しました。新野では左馬助公と尊敬語で名前を呼びます。旧新野村は、直虎の母である松岳院様の在所です。調べていくうちに気になることが出てきました。[1]左馬助公、井伊谷入りの時期です。資料などが残っておらず不明です。[2]新野左馬助親矩(ちかのり)公は系図によると、信州上田民部晴昌(みんぶはるまさ)の次子で、新野左京之介親種(ちかたね)の養子になる、とあります。上田氏は信州のどこの武将なのでしょうか。

(2)直虎の還俗(一度お坊さんになった人が元の俗人になること)問題です。直虎が城主となった時、還俗したのでは、との質問を受けます。直虎の出家の動機は国外逃亡した亀之丞が死んだと諦め、その菩提を弔う生涯を送ろうと決心したことにあります。しかし、直虎は南渓和尚の教えを受けるうちに求道者として深く仏法の世界に入っていったと思われます。還俗したかどうか、難しい問題ですが、私は還俗論を否定する立場です。還俗をした形跡は見られないのです。

(3)「直虎さんてどんな人」と尋ねられた時、私は「凛とした女性」と答えています。直虎が女城主になって翌年の永禄9(1566)年、今川氏真は「井伊谷徳政」を発布しました。これは井伊領を今川の支配下に置くためです。直虎は徳政令を3年間凍結します。氏真は直虎の主君ですが、その命令を拒否した直虎の姿勢に「凛」という漢字を当てはめてみました。

(4)井伊家筆頭家老小野但馬(おのたじま)についての感想を求められます。一般的に悪役の感があるからです。彼は筆頭家老です。上級権力者の今川と主君の間にあって板挟みになる立場で一概に悪人呼ばわりは出来ないなと思っています。但馬の兄弟は5人いて、但馬以外の小野家の子孫は今日まで立派に各地で健在、その系図は龍潭寺に残されています。

さて10月に入り、早いもので井伊谷近辺ではNHKによるロケーションがありました。昨年8月25日に、29年度大河ドラマの発表があって以来、あっという間に1年が過ぎました。振り返ってみた時、私の生涯で一番忙しい日々でした。

そのような中、連載物「直虎物語」を予定どおり12回終えることが出来ました。お読みいただいた皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

執筆:武藤 全裕(ぜんゆう)さん(龍潭寺前住職)

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