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更新日:2016年9月5日

女城主 井伊直虎 ゆかりの地浜松

直虎物語『第十一話 直虎と築山殿、直政と信康の不思議な絆』

母である松岳院が亡くなり、悲しみのさめない翌年天正7(1579)年の秋、直虎が驚き深く心を痛める事件が浜松で起こりました。徳川家康が織田信長の命令で正室である築山殿(つきやまどの)を殺し、嫡男の弱冠21歳である信康を切腹させたのです。築山殿と信康の2人が岡崎城で武田勝頼と手を結んだとの疑いからです。

築山殿は井伊家20代当主井伊直平の孫に当たります。直平の娘が人質で駿河に送られ、今川氏の家老関口義広(せきぐちよしひろ)と結ばれ生まれた子供がこの築山殿です。直虎の父直盛とは血を分けたいとこに当たります。徳川家と井伊家は実に不思議な絆の糸で結ばれていたのです。直虎が松岳院と築山殿の死を悲しむ中、朗報が入りました。

2年前に田中城攻めの働きで1万石を頂戴した直政が、天正8(1580)年、2万石に加増されたというニュースで、異例のスピードでの出世です。これは嫡子信康を失った家康が、築山殿と姻戚にあたる直政を抜擢し、信康に代わる後継者にと考えてのことと推察されます。この時直政は弱冠20歳でした。

直政の朗報はまだ続きます。天正9(1581)年3月、家康の念願であった高天神城を落とします。この戦いで、直政は城の水の栓を切るという功績をあげました。

翌年の天正10(1582)年3月、直政は家康に従い武田勝頼攻めに参戦し、勝頼は戦死、武田家は滅亡します。同年の6月1日には本能寺の変が起こります。信長の招きで上洛していた家康主従一行は、明智光秀軍や落ち武者に追われ、決死の伊賀越えで無事、岡崎に帰着します。この一行の中には直政も一員として入っていました。家康は伊賀越えでの直政の働きを誉め、褒美に孔雀の陣羽織を与えました。この陣羽織は今でも新潟県長岡市にある与板歴史民俗資料館に所蔵されています。

南渓和尚の元に届くこれらの情報を得て、直虎は一憂し、一喜していたのではないでしょうか。

 

執筆:武藤 全裕(ぜんゆう)さん(龍潭寺前住職)

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