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更新日:2016年8月5日

女城主 井伊直虎 ゆかりの地浜松

直虎物語『第十話 直虎、直政を徳川家康に出仕させ、お家再興を図る』

直政を徳川家康に出仕させることが決まると、その支度に直虎は母松岳院(しょうがくいん)と小袖(武士の礼服)2枚を仕立て、直政に与えたと伝記に記されています。

天正3(1575)年2月、小袖を身につけた凛々しい若者松下虎松(まつしたとらまつ)(直政)は、松下源太郎(げんたろう)の弟である常慶(じょうけい)に付き添われ、鷹狩りの帰り道の家康にお目見えします。この常慶は、秋葉寺のお札くばりをしながら、各地を回りその土地の情報を集めていた人物で、三河時代の家康と懇意な間柄であったと言われています。鷹狩りの帰り道での対面は、常慶が調整をしたという説もあります。

家康は、虎松を一目見て気に入り、虎松を連れて城に入り、改めて虎松からその生い立ちを聞き大変驚きます。岡崎時代、自分と反今川で内通したため殺害された直親の嫡男です。伝記には「直親の実子必ず取り立てる」と仰せられたと書かれています。そして、その場で松下虎松という名前から井伊万千代(まんちよ)と名乗らせます。万千代の千代は家康の幼名「竹千代」の千代です。そして井伊家を再興させ、3百石を与えて小姓に取り立てました。

万千代は翌年3千石、さらに天正6(1578)年の3月には駿河田中城(するがたなかじょう)攻めにて手柄を立て、1万石に加増されます。この直政の出世を喜びながら、直虎は母と2人静かに龍潭寺境内に建てられている松岳院で、今は亡き父直盛を始め故人となった一族の菩提を弔う日々を送っていました。

この年の7月15日、直虎の母がこの世を去りました。法名松岳院殿寿窓祐椿大姉(しょうがくいんでんじゅそうゆうちんだいし)と申し、龍潭寺内に葬られます。

執筆:武藤 全裕(ぜんゆう)さん(龍潭寺前住職)

松岳院跡地にある石碑(龍潭寺内)
松岳院跡地にある石碑(龍潭寺内)

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