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更新日:2016年7月4日

女城主 井伊直虎 ゆかりの地浜松

直虎物語『第八話 女城主直虎、徳政令を凍結する』

女城主に就任した直虎は永禄8(1566)年9月15日、井伊家菩提寺である龍潭寺の南渓和尚宛に「龍潭寺寄進状」を発給しました。この文書には次郎法師の署名と、直虎を城主と示す黒印が押してあり、龍潭寺では「黒印状」と呼ばれ、今日まで大切に保存されています。黒印状は虎松(直政)5歳の時、井伊家の子孫繁栄を祈願して龍潭寺へ寄進した文書です。

この時期、井伊領内の農村では、相次ぐ戦に多くの若者が徴兵されて戦死したため、田畑は荒れ、農民の生活は困窮していました。そこで農民は高利貸しの商人から田畑を抵当に借金をしますが、返済の目処は立ちません。困った農民は団結して徳政令の発布を駿河の今川氏真に訴えました。徳政令とは今までの借金を帳消しにする法令です。
永禄9(1567)年、氏真は「井伊谷徳政」を発布しました。しかし直虎はこの徳政令にストップをかけました。もし、井伊谷徳政が実施されると井伊領の支配者が今川に移り、井伊家の存続が危うくなってしまいます。大きな政治問題に直面しますが、直虎は3年間、この徳政令を拒否し続けました。

永禄11(1569)年11月、ついに氏真は家老関口氏経(せきぐちうじつね)を井伊谷に差し向けます。そして、ただちに徳政令を実施するという文書に署名をさせました。この文書は北区細江町中川にある蜂前(はちさき)神社に残されています。文書には次郎直虎と署名され、花押(かおう)(サイン)が書かれています。花押は今で言う実印に当たるもので、当時は男性の城主しか使用できなかったと言われ、女城主直虎の花押が書かれた文書は全国でも珍しい貴重な文書です。

永禄9(1567)年11月、直虎は井伊領川名村福満寺に曾祖父直平の追善供養のために洪鐘(こうしょう)(おおきなつりがね)を寄進します。この洪鐘の銘には、直虎と並んで願主として瀬戸四郎右衛門(しろううえもん)の名があります。井伊領で名の知られた豪商瀬戸方久(ほうきゅう)です。永禄に入り、井伊家は相次ぐ出陣命令で莫大な戦費を消耗し、経済的危機に見舞われます。この井伊家を支えてきたのが、瀬戸方久でした。この商人方久の損害を少なくするため、徳政令を凍結し続けたとの説もあります。

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