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更新日:2016年7月4日
直親の無惨な死に悲しむ間もなく、井伊家ただ一人の跡取り直政をも亡き者にせよとの命令が、今川氏真により出されます。そこで、直虎の伯父である新野左馬助が、自分の命に代えてでも直政の命を助けるよう嘆願し、直政母子は伯父夫妻に預けられました。左馬助の妹は、直盛の内室(直盛の妻)です。
永禄6(1563)年、井伊家の受難は続きます。直虎の心が休まる間もなく、時は流れていきます。そうした最中、直虎にとって悲しい出来事が再び起こってしまいます。曾祖父20代井伊直平の急死です。この時既に75歳という高齢の直平に、氏真は容赦無く出陣命令を出します。9月始めの三河攻め、続いて今川氏に背いた天野氏攻めを命令したのです。出陣の途中、遠州有玉旗屋で直平は急死します。亡骸は井伊領川名向山に埋葬されました。
続いて翌年の永禄7(1564)年、引馬城主飯尾連龍(いいおつらたつ)が今川氏に反逆し、その引馬城攻めを井伊家に命じます。城代中野信濃守と直虎の伯父新野左馬助が出陣し、引馬城天間橋(でんまばし)の戦いで両名とも戦死してしまいました。
これで井伊家はわずか4歳の直政を残すのみとなってしまいました。この井伊家の危機を切り抜けるため、南渓和尚は、唯一人井伊家の血を引く直虎を女城主とすることを決めました。
こうして永禄8(1565)年、女城主直虎が誕生しました。相次ぐ今川氏の圧迫にも耐え、どのような苦難にも屈しない芯のある女城主です。
執筆:武藤 全裕(ぜんゆう)さん(龍潭寺前住職)
急死した井伊直平の墓
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