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更新日:2016年7月4日
直虎が出家をした時の話は、「井伊家伝記」(龍潭寺(りょうたんじ)所蔵)に詳しく記されているので紹介します。
「良い時期が来たら亀之丞(かめのじょう)を養子にし、直虎と夫婦に」と、直虎の両親は考えていましたが、亀之丞は、松源寺(しょうげんじ)(長野県高森町)へ逃げ隠れてしまいました。直虎は亀之丞が既に亡くなってしまったと思い込み、その冥福を祈ろうと、南渓(なんけい)和尚の弟子になり、髪を下ろし出家しました。そんな直虎を見た両親は悲しみに暮れ、本来ならば亀之丞と夫婦になる予定だった直虎には尼(出家女性に付ける呼び名)の名は付けないよう、南渓和尚にお願いをしました。一方、直虎は尼の名をぜひとも付けて欲しいと言います。
困り果てた南渓和尚は、井伊家総領(跡継ぎ)の名である備中次郎と、僧侶の名を兼ねて、「女にこそあれ次郎法師」と名付けました。井伊家の嫡男たる「次郎」の通称と、出家の身の証である「法師」を組み合わせたこの名は、娘直虎と父直盛の双方の意を汲んで、南渓和尚が苦肉の策でつけた名でした。
この頃、井伊家の筆頭家老の小野和泉守(おのいずみのかみ)に但馬(たじま)という息子がいました。和泉守はかねてより、直虎と但馬を結婚させたいと思っていました。両親の反対を押し切って出家をした直虎は、毅然として但馬との結婚も拒否します。この行動の裏には、亀之丞への想いを貫く愛の深さを感じさせられます。
天文15(1546)年、直虎の祖父である21代井伊直宗が田原(愛知県田原市)で討ち死にし、天文19(1550)年、直虎の祖母が井伊領久留女木(くるめき)で亡くなり、如意院(にょいいん)に葬られました。
執筆:武藤 全裕(ぜんゆう)さん(龍潭寺前住職)
如意院(北区引佐町東久留女木)
直宗の妻の墓(北区引佐町東久留女木)
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