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更新日:2016年7月4日
北区引佐町井伊谷で1000年以上前の平安時代に、井伊直虎の先祖井伊共保(ともやす)が生まれています。龍潭寺(りょうたんじ)の門前たんぼの中に、共保が産湯につかっていたと伝えられる「元祖出生の井戸」が残されています。
共保公出生の井戸
共保より数えて22代目の城主である井伊直盛は、徳川家康に仕え四天王の1人として名高い井伊直政の祖父に当たります。この直盛のただ1人の娘が直虎です。直虎の出生日は不明ですが、天文6(1537)年頃と推定されます。直盛には後を継ぐ男子が無く、直虎の幼少の頃より叔父に当たる亀之丞(のちの23代直親)が許嫁と決められていました。
お城の近くには、亀之丞の父直満の屋敷があり、直虎と亀之丞は仲睦まじい遊び相手でもありました。幼い直虎の心の中には、亀之丞は将来を約束した大切なお人との思いが秘められていました。
天文13(1544)年の12月29日、亀之丞は突然直虎の前から姿を消しました。待っても待っても亀之丞は直虎の前に現れません。許嫁の失踪の原因を聞いても、誰もが堅く口を閉ざして教えてくれないのです。
この亀之丞失踪事件には理由がありました。この年の12月、亀之丞の父直満は今川家に背いたとの罪で駿府に呼び出され、弟直義と共に殺されます。その子亀之丞の命も狙われていたので、龍潭寺2世住職南渓(なんけい)和尚は、密かに亀之丞を信州市田(長野県高森町)の松源寺へ逃します。そして亀之丞はこの後10年もの間、信州に隠れていたのです。
執筆:武藤 全裕(ぜんゆう)さん(龍潭寺前住職)
かつて井伊家の本城であった三岳城址からの風景
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