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更新日:2014年11月7日

お江が嫁いだ徳川2代将軍「徳川秀忠」生誕の地・浜松

―浜松は、徳川家康の長男、二男、三男のゆかりの地―

平成23年に放映されたNHK大河ドラマ「江―姫たちの戦国―」では、波乱万丈の戦国時代を生きた“江(ごう)”が描かれています。時の権力者に翻弄され、3度の結婚を重ねた江の最後の嫁ぎ先が、徳川家康の三男で徳川2代将軍・秀忠です。その秀忠は、1579年(天正7年)に現在の浜松市で誕生しました。また、市内には、秀忠の産土神(うぶすながみ※)として崇敬された五社神社・諏訪神社が建てられています。

さらに浜松市には、家康が築造し、29歳から45歳までの17年間を過ごした浜松城をはじめ、長男・松平信康が自刃をとげた二俣城や、家康の側室であるお万の方が二男・結城秀康を産んだ屋敷など、徳川家ゆかりの史跡が今もなお数多く存在しています。

史実と重ねながら浜松市内を散策してみませんか?

産土神(うぶすながみ)…生まれた土地の守り神。鎮守の神。

徳川家ゆかりの史跡

家康の三男・徳川2代将軍秀忠誕生時の産湯に使われた井戸跡

1579年(天正7年)、家康の側室の一人・西郷局(さいごうのつぼね)が秀忠を産んだ際、産湯として使われたと言われる井戸の跡が、浜松市内に残されています。

当時の井戸は、現在の場所から50mほど西のところにありました。その一帯は旧城下で、家康が浜松に居城していた時には、下屋敷が構えられていました。その下屋敷で秀忠は誕生したと伝えられています。

「徳川秀忠公誕生の井戸」の詳細
http://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-central/post-49.html(別ウィンドウが開きます)

秀忠の産土神(うぶすながみ)として崇敬された五社神社・諏訪神社

五社神社と諏訪神社は、ともに秀忠の誕生後、産土神(うぶすながみ)として崇敬されるようになりました。また、相殿(あいどの)には家康が祀られています。

両社の社殿は旧国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)、戦禍により全焼してしまいました。1960年(昭和35年)に両社は合祀(ごうし)され、現社殿は、1982年(昭和57年)に再建されました。

五社神社・諏訪神社の詳細
http://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-central/st045.html(別ウィンドウが開きます)

家康が築城した「浜松城」 ※浜松市指定史跡

1570年(元亀元年)、家康は駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備えるため、遠州一帯を見渡せる三方原台地の東南端に城を築造しました。当時、この地域は「引馬(ひくま)」と呼ばれていましたが、家康は「浜松」と改めました。これが、「浜松」の名の出発点です。

家康は浜松城で17年を過ごしましたが、その間には、生涯唯一の負け戦と言われる「三方ヶ原の合戦」(1572年(元亀3年))がありました。家康は、その敗戦時の憔悴(しょうすい)しきった姿を絵師に描かせ、生涯この絵を大切にし、敗戦を自戒したと言われています。

浜松城は、家康が耐え難きを耐え、力を蓄え、その後の徳川300年の礎となった場所です。


現在の浜松城天守閣は、1958年(昭和33年)に再建されたもの。

「浜松城」の詳細
http://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-central/post-36.html(別ウィンドウが開きます)

家康の長男・松平信康が自刃をとげた悲劇の地「二俣城」 ※浜松市指定史跡

二俣城は天竜川と二俣川に囲まれた堅城で、武田軍と徳川軍の攻防の舞台となりました。

また、1579年(天正7年)、信康と家康の正室・築山殿は、敵対する武田方と内通の嫌疑をかけられました。そして、織田信長から処分を言い渡された父家康の命により、信康は21歳の若さにして、二俣城で自刃をとげました。

二俣城址近くにある清瀧寺(浜松市天竜区二俣町)には、信康の墓が建立されています。現在の二俣城址には、本丸、天守代、二の丸、蔵屋敷などが残っています。

「二俣城址」の詳細
http://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-tenryu/post-37.html(別ウィンドウが開きます)

家康の正室・築山殿

今川家の血を引く築山殿は、家康の正室となった後、松平信康、亀姫を産みました。

1579年(天正7年)、信康の正室・徳姫から敵対する武田方と内通の嫌疑をかけられます。そして、織田信長から処分を命じられた家康の指示で、岡崎城から二俣城へ移送される途中、小藪(やぶ)村(現佐鳴湖畔)で家康の家臣により殺害されました。

その際、血のついた太刀(たち)を洗ったとされる池を「太刀洗の池」と呼んだと伝えられています。

「太刀洗の池」の詳細
http://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-central/post-71.html(別ウィンドウが開きます)

家康の二男・結城秀康が生まれた屋敷「中村家住宅」 ※国指定重要文化財

中村家は、16世紀の今川氏の時代に浜名湖の水運を取り仕切っていました。

1568年(永禄11年)、家康が遠江に入国した際、18代当主の正吉が浜名湖渡海の協力をしたことで、家康や家臣たちと親密な関係ができました。こうした関係から、1574年(天正2年)2月8日、家康の側室お万の方が、二男於義丸(後の結城秀康)をこの屋敷で出産しました。

中村家住宅には、その時の胞衣(えな)(後産)を埋めた胞衣塚が現存しています。

胞衣(後産)…出産後、胎盤が羊膜やへその緒とともに、排出されたもの

「中村家住宅」の詳細
http://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-west/post-35.html(別ウィンドウが開きます)

歩いて感じる『家康の散歩道』

「徳川秀忠公誕生の井戸」から、「太刀洗の池」までの全長約10kmの散策コースで、途中、「犀ヶ崖古戦場」や「西来院」「宗源院」など、浜松市内に点在する、若き日の家康ゆかりの地、旧跡、名所を結んでいます。戦国時代のかすかな息吹を、歩いて感じてみませんか?

『家康の散歩道』詳細
http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/stroll/(別ウィンドウが開きます)

大河ドラマ「江―姫たちの戦国―」に「浜松市やらまいか大使」が出演

NHK大河ドラマ「江―姫たちの戦国―」には、本市の親善大使「浜松市やらまいか大使」でもある、鈴木砂羽さん(豊臣秀吉の側室松の丸殿役)と袴田吉彦さん(豊臣秀吉の弟豊臣秀長役)が出演していました。

お問い合わせ

浜松市役所産業部観光・シティプロモーション課

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