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更新日:2014年10月31日
天正2年(1574)2月8日、徳川家康の側室お万の方が家康公の第二子(於義丸、後の結城秀康)を出産しました。この場所が、中央区雄踏町に今も残る「中村家住宅」です。
中村家は、今川氏や徳川家康の家臣として代官を勤めていた地元の名門家です。
中村家の初代は、源範頼の末裔の武士で大和国広瀬郡中村郷に住んでいました。中村家が中央区雄踏町に屋敷を構えたのは文明15年(1483年)の頃といわれています。
16世紀の今川氏の時代には、今川氏の家臣として代官を勤め、浜名湖の軍船を支配していました。今川氏が滅びた後は徳川氏に仕え、永禄11年(1568)、徳川家康が遠江に入国した時は、18代目の正吉が、今切軍船兵糧奉行や代官を勤めていました。
こうした家康と正吉の関係から、お万の方の出産が中村家で行われました。その時の胞衣(後産)を埋めた胞衣塚は現存しています。
中村家住宅配置図
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