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更新日:2013年9月1日

はままつ農業のここが肝。

vol.6 2012年10月号 表紙へ

はままつ農業のここが肝。

図:創設、大正11年

ここが肝! 栽培技術の向上に大きな貢献「郡立農事試験場」

浜松の農業が発展した理由の一つとして、忘れてはならないのが「郡立農事試験場」の存在。大正11年、現在の浜松市南区芳川町に、農事試験場蔬菜部(そさいぶ)として創設された当時から、県下の野菜園芸・温室園芸に関する試験研究の中心機関としてスタートしました。それにより、県西部から中遠地方が、県内の野菜園芸の中心的産地と言われるほどに成長しました。昭和31年には静岡県農業試験場遠州園芸分場となり、時代ごとの特産品を中心に、品種改良、病害対策、施設改良、育苗研究を進め、地元生産者の栽培から経営におよぶ相談指導も行いながら、地域の農業振興に大きな功績を残したのです。

写真:郡立農事試験場(遠州園芸分場時代)
郡立農事試験場(遠州園芸分場時代)

図:工事期間32年

ここが肝! 実りある大地のために「三方原用水」

三方原用水は農業発展に大きな影響を与えました。明治時代に金原明善が提案していた、天竜川から台地に引水する案が、実際に着手されたのは昭和33年。当時、水利面で孤立していた三方原台地へ、安定した農業用水を確保する目的でスタートしました。それから平成2年度まで、なんと32年の年月を費やして、三方原用水の整備をすすめ、三方原台地から遠州灘までの畑地、茶園、水田を潤してきました。この大事業によって、蛇口をひねれば安定供給される農業用水が確保され、浜松市は県を代表する一大農業地帯へと成長することができたのです。名産、三方原ばれいしょも三方原用水がもたらしたものの一つと言えるでしょう。

写真:三方原用水の通水式(昭和42年)
三方原用水の通水式(昭和42年)

はままつの農業トリビア。

へちまを世界に発信した男!

その名は織田利三郎(りさぶろう)。浜松育ちの彼は、明治中期、へちま、らっかせい、しょうがなどの特殊な農産物に目をつけ、生産力を高め、輸出振興を進めた人物です。明治33年パリ万国博覧会では、浜松特産のへちまをPRするため、へちまで作ったゾウを展示し、好評を得ました。明治40年には「静岡県生姜、糸瓜(へちま)、蕃椒(とうがらし)、落花生同業組合」を設立し、生産研究を急成長させていったのです。耐病性へちま品種に“浜名、天竜、浜北、あきは”など、当地ならではの名称がつけられているのは、彼が国内外へ地元農産物を発信し、影響を及ぼした成果といえるのではないでしょうか。

洋菜7品目

昭和30年代、ビニールハウス技術による施設化の進歩で、浜松では洋菜生産が飛躍的に成長。昭和38年に浜松洋菜協議会が設立されたことも追い風となり、当時、西洋野菜の品種、施肥(せひ)、育苗などの研究が飛躍的に進歩しました。また、それまでバラバラだったセルリー、パセリなど7種の代表野菜を「洋菜7品目※」としてセットして出荷。一つの産地で一度に収穫し、まとめて供給するという利便性が市場関係者に大きく評価されました。これらのことが、農産物供給地として浜松の市場での地位を高めました。

図:※洋菜7品目/セルリー、パセリ、レタス、花野菜、ブロッコリー、レッドキャベツ、芽キャベツ
※洋菜7品目/セルリー、パセリ、レタス、花野菜、
ブロッコリー、レッドキャベツ、芽キャベツ

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