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更新日:2021年12月21日
第3回目は、「城内・城下ルート」の第6ポイントである、「遠江分器稲荷神社(とおとうみぶんきいなりじんじゃ)」についてお届けします。
金色の狛狐、ずらりと並んだ赤い旗が目を引く遠江分器稲荷神社。当神社は徳川家康が三河から浜松に入った1568(永禄11)年に創建され、その36年後の1604(慶長9)年に徳川家康の命により本殿を修造したと伝えられています。
残念ながら戦前の社殿は昭和20年6月18日の空襲により焼失しており、現在の美しい姿は昭和31年(本殿)、34年(拝殿)に再建されたものとなります。
神社が創建された頃、こちらの場所は中世東海道沿いに栄えていた引間宿の南限に位置し、経済の中心としてたいへん賑わっていました。
家康が引間城(浜松城)を拡大し、堀尾吉晴や江戸初期の譜代大名が城下を大改造した後、引間宿は解体されて跡地は武家屋敷になりました。
神社の西側には家康の重臣・徳川四天王の一人として大活躍した本多忠勝の屋敷があったと伝わっており、現在、近くには屋敷の推定地の標識も立っています。
そのような場所に位置していた稲荷神社は、歴代徳川家将軍、諸大名、浜松城主をはじめ、多くの人々から崇敬されていたそうです。
いかがだったでしょうか。
遠江分器稲荷神社では参拝した証として御朱印(300円の奉納が必要)も頂けますので、御朱印帳片手に家康公の軌跡と戦国の歴史を感じながら、出世の街浜松をのんびり歩いてみてはいかがでしょうか。
(Facebook投稿日:2021年5月26日)
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