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更新日:2018年3月2日

大久保町

 地形的に非常に起伏が多く、谷間で窪地になっていることから、「大窪」の文字が地名に使われていた時代があります。
 「大窪」の地名が見られる最も古い資料は、鎌倉時代のもので、室町時代後期の文書にも同様にみることができますが、江戸時代に入ってからの文書では、現在と同じ表記で「大久保村」との記述がみられます。江戸時代には、大久保代官所(陣屋)が設置されていた由緒ある村で、浜松の城下から庄内半島に通じる庄内道(舘山寺街道)の要衝となっていました。


 また、大久保の歴史の中には大きな謎もあります。江戸時代の「元禄高帳」によると村高は「妙香城寺」の朱印地四二石を含め、八百一石余りでした。大久保町の浜松技術工業団地
寺領として四二石は極めて多く、当時の「妙香城寺」の寺勢をうかがうことができるのですが、今では廃寺となっており、その寺跡さえ定かではない状況で、大久保の歴史の中で大きな謎の一つとされています。


 明治22年の町村制の施行により、神ヶ谷村、大久保村、志都呂村が合併して、敷智郡神久呂村が発足、明治29年に浜名郡神久呂村となり、昭和30年に浜松市に編入し、現在に至っています。

 

【参考文献】

 「はままつ町名の由来」(神谷昌志著 静岡新聞社発行)

※紹介している由来は一例で、この他の説もあります。

 

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