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更新日:2016年8月12日

女城主井伊直虎ゆかりの地浜松

第6回 徳川家康の侵攻(2016年8月10日投稿)

徳川家康の侵攻

女城主となった井伊直虎が最初に直面したのは、今川氏から出された徳政令(借金帳消し令)でした。本来は農民を助けるための徳政令ですが、この徳政令は井伊家の力を弱めるためのものだったのです。すぐに徳政令を受け入れれば、井伊家の存続が危ういと察した直虎は、これを2年間引き伸ばすことに成功しますが、永禄11年(1568年)ついに徳政令を受け入れます。これにより直虎の地頭職は廃止され、今川氏と通じていた家老・小野但馬守が井伊領を支配することとなりました。城主の立場を失った直虎は、母の暮らす龍潭寺松岳院に身を寄せました。
直虎が城を出て1カ月後、三河の徳川家康が遠江侵攻を開始し、今川領となっていた井伊谷城、引間城、堀川城を立て続けに攻め落としていきます。ほどなく、長年に渡って井伊家を支配してきた今川氏が滅亡し、井伊領の運命は、徳川対武田の勢力争いに委ねられます。

浜松元城町東照宮

写真:東照宮

元亀元年(1570年)に拠点を岡崎から浜松へと移した家康は、引間城を拡大し、城の名を浜松城と改めました。現在、引間城の跡地には浜松元城町東照宮が建っており、出世の聖地と呼ばれ多くの参拝者が訪れるパワースポットとなっています。

幼少の頃の豊臣秀吉も引間城を訪れたという記録が残っていることから、家康と秀吉にゆかりのある場所として、2人のブロンズ像(二公像)が設置されています。
※二公像には、2人の間に人が立つスペースがあり(足型があります)、記念撮影に最適ですよ!

写真:家康と秀吉にゆかりのある場所として、2人のブロンズ像(二公像)

【浜松元城町東照宮】
静岡県浜松市中央区元城町111-2

浜松城

それから、29歳~45歳までの17年間を過ごした浜松城。

写真:浜松城
家康が出世の礎を築き、歴代城主の多くが後に幕府の重要ポストに登用されたことから、別名「出世城」とも呼ばれています。現在の天守閣は昭和33年(1958年)に、天守門は平成26年(2014年)に再建されました。
春の桜、秋の紅葉はもちろんですが、夏の青空にそびえる浜松城も壮観です。

【浜松城】
浜松市中央区元城町100-2
ホームページ:https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/(別ウィンドウが開きます)

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