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更新日:2014年10月1日
―円形焼きと茹でもやしが王道スタイル―
浜松餃子は浜松市自慢のB級グルメです。餃子は、戦後間もない頃から浜松市の食文化として根付いており、市内各地で味わうことができます。浜松餃子を食べるために市外からも多くのお客さまがいらっしゃいます。
餃子の具には、キャベツや白菜などの野菜をふんだんに使用するので、臭みがなく野菜の甘みが際立つ優しい味わいに仕上がります。餃子を円形で焼いたり、付けあわせとして茹でもやしを添えるのも1つの特徴です。
日本における焼き餃子の歴史は、戦後の中国からの復員兵が食べてきたものの中から、手軽で美味しかった焼き餃子(中国では基本的に水餃子を食べ、残りを翌日焼いていた)を露天で始めたという流れが一般的です。
浜松市においても、一般に餃子が食べられるようになってきたのは戦後の屋台餃子からだったようです。地元で取れたキャベツなどの野菜を中心に、盛んであった養豚から肉や脂を取り入れ、あっさりながらもコクの有る餃子が生まれたのもこの頃です。
浜松餃子
市民に親しまれてきた餃子を一度により多く焼くために考えられた方法が、フライパンに餃子を丸く並べて焼く方法です。餃子焼き機のような便利なものが無い頃は、それが一番効率の良い焼き方だったのでしょう。
浜松餃子の特徴の1つである円型に焼いた真ん中の穴に、付け合わせとして茹でもやしが添えられるようになったのも、戦後まもなくの頃からです。茹でもやしは、一度に大量に餃子を食べる浜松市民に、餃子の箸休めとして受け入れられました。
餃子が市民に根付いてくると、それぞれのお店は、それぞれの餃子の味に合ったこだわりのタレ・ラー油(一味。「からし」と呼んだりもする)を持つようになりました。これらの流れは今に引き継がれ、浜松餃子の特徴を担っています。
現在、浜松の餃子は、『戦前の流れ』、『戦後の流れ』の他に、「自分ならこういう味」という、その後に発展していった『オリジナルの流れ』の3本の流れを持っています。つまり、これらの流れがひとつの大きな流れとなり、現在の『浜松餃子』となりました。いろいろなタイプのこだわり餃子があるのもその為で、だからこそ、浜松は、“天然の餃子ミュージアム”と言えるのです。
浜松餃子学会「浜松餃子マップ」より
浜松餃子学会は、浜松餃子を全国に広めた団体で、浜松餃子の振興・普及を目的として設立されたボランティア団体です。学会の中心メンバーはいずれも餃子好きばかりで、餃子を直接販売している店が集まった団体ではありません。浜松餃子学会は、下記のポリシーを持ちながら活動しています。
《活動内容》
浜松餃子マップ
浜松餃子まつり
B-1グランプリ
マスコットキャラクター「ちゃお」テーマソング普及
(PDF:133KB)
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