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更新日:2023年3月24日
はままつの文化財
Vol.31 平成22年10月15日
上組遺跡は南区渡瀬町に所在します。遺跡の範囲内で宅地造成に伴う開発が行われるため、2010年7月26日から9月22日まで発掘調査を実施しました。
今回の調査は、渡瀬町では初となる本格的な発掘調査です。
調査の結果、主に奈良時代(約1300年前)と鎌倉時代(約800年前)の遺構や遺物が多く見つかり、調査範囲内にはその時期の集落が広がっていることが明らかになりました。
出土した陶馬
まず、奈良時代の調査成果では、ほぼ完全な形で出土した陶馬(すえうま)が特筆されます。
陶馬は全長19.1cm、高さ10.0cmあり、浜松市内で出土したものの中では最大級のものです。
また、顔や鞍などが写実的に表現されています。
陶馬は奈良時代初め頃に出現し、大型で装飾性に富むものほど古いことから、上組遺跡で出土した陶馬は奈良時代の初め頃のものと推定されます。
その用途については、遺跡で出土する陶馬の足が破損している例が多いことから、祭祀の時に実物の馬を犠牲にする代わりとして使用されたと考えられています。
続いて、鎌倉時代の調査成果で特筆されるのは、有力者の屋敷地を区画する溝跡を検出したことと、出土した遺物に中国産の陶磁器が含まれていることです。
今回の調査では、調査区の両端で検出した溝跡が屋敷地を区画していたと見られます。
いずれも幅2~3mと、他の溝跡より大規模であり、年代についても山茶碗と呼ばれる陶質の焼き物が多く出土しているため、鎌倉時代に使われていたことが明らかです。
調査は限られた範囲ですが、それらの溝を延長するとほぼ直角に交わることから、屋敷地を区画する溝の可能性は高いと考えられます。
屋敷地であるならば、その規模は一辺が50mを超えるため、有力者の住いであることがうかがえます。
さらに、当時の高級食器である中国産陶磁器が出土しており、天目茶碗や青白磁合子などのめずらしい器種が含まれることや、宴会などの際に使用された「かわらけ」と呼ばれる素焼の土器皿が多数出土していることからも、階層性の高さがわかります。
中国の陶磁器
国産の食器類
今回の調査によって、上組遺跡に鎌倉時代の有力者の屋敷地が広がっていたことが明らかになりました。
その人物がどのような人であったのか考えるうえで、現在の浜松市東部の蒲地区、飯田地区、和田地区などが「蒲御厨(かばのみくりや)」と呼ばれる平安時代に成立した伊勢神宮の荘園であったことがヒントとなります。
これまでの研究により、荘園にはその管理を任された階層の存在が想定されるため、上組遺跡にもそのような人物が住んでいた可能性が考えられます。
特に調査地の南側には、蒲御厨の公文(くもん)であった渡瀬氏の居館推定地があり、渡瀬氏と関係する人物が上組遺跡に住んでいた可能性が考えられます。
今回の調査では、その一端が明らかになりましたが、今後周辺の調査が進むことでその実態がより具体的になることでしょう。
講座のようす
平成22年度浜松地域人づくり大学講座として「文化財の見方」講座を開催しました。
記録的な猛暑がひと段落した9月25日(土曜日)、26日(日曜日)、10月2日(土曜日)の3日間開講し、延べ40名の方が参加されました。
今回の「文化財の見方」講座では、市内の文化財建造物を会場に、1.重要文化財「中村家住宅」と雄踏の歴史・文化 2.市指定有形文化財「旧舞坂脇本陣」と舞阪の歴史・文化 3.県指定有形文化財「龍潭寺本堂」保存修理現場見学と文化財建造物の修理 をテーマに全3回実施しました。
実際に文化財建造物を見て、触れて、体感するとともに、郷土史研究家の講師による講義を受け、文化財の基礎知識を学びました。
また、最終回は、龍潭寺本堂保存修理工事現場を見学し、通常立ち入ることができないナマの修理現場を体感するとともに、文化財建造物修理の基礎知識を学びました。
江戸時代から残されてきた身近な文化財建造物をあらためて知ることで、受講された方がそれぞれの立場で、文化財を観光振興や地域活性化に活用していただけるものと期待しています。
今後、「戦国の城のはなし」「姫街道の歴史と歩き方講座」を開講予定です。
人づくり大学パンフレットや広報はままつ等でご案内しますので、興味のある方は、ぜひ受講してみてください。
9月には、こんな調査活動などを行いました。
3 |
(金曜日) |
東区恒武町 |
恒武遺跡群試掘調査 |
---|---|---|---|
9 |
(木曜日) |
南区渡瀬町 |
上組遺飯田小学校跡出前講座 |
12 |
(日曜日) |
南区渡瀬町 |
上組遺跡現地説明会(参加者326人) |
14 |
(火曜日) |
静岡市 |
文化的価値ある建築物の保全活用検討会参加 |
17 |
(金曜日) |
東区半田山 |
半田山D16号墳工事立会い |
17 |
(金曜日) |
南区若林町 |
若林町村西遺跡試掘調査 |
20 |
(月曜日) |
秋葉神社 |
日本刀入門公開講座(参加者66人) |
28 |
(火曜日) |
西区神原町 |
埋蔵文化財調査事務所総合学習受入れ(神久呂小) |
10月24日(日曜日)
市指定無形民俗文化財「勝坂神楽」
勝坂神楽奉納
正午~/八幡神社・清水神社(天竜区春野町豊岡)
10月30日(土曜日)・31日(日曜日)
県指定無形民俗文化財「川合花の舞」
川合花の舞奉納公演
午後3時~翌朝/八坂神社(天竜区佐久間町川合)
10月31日(日曜日)まで
市指定有形文化財「木造十王坐像」ほか
木喰展
午前9時~午後4時/方広寺(北区引佐町奥山)
11月1日(月曜日)~30日(火曜日)
重要文化財「宝林寺仏殿・方丈」ほか
宝林寺指定文化財展
午前10時~午後4時/北区細江町中川
11月14日(日曜日)
国登録有形文化財「天竜浜名湖鉄道機関車転車台」ほか
天浜線フェスタ
午前10時~午後4時/天竜区二俣町阿蔵 天竜二俣駅構内
初山焼は、北区細江町中川で戦国時代終わり頃(16世紀後半)に焼かれたやきものです。
釜下窯と宝林寺境内窯の存在が明らかになっています。
釜下窯は1983年、国道362号線の工事にともない発掘調査が行われ、消滅しました。
宝林寺境内窯は、黄檗宗初山宝林寺の境内にあります。
そのため、かつては宝林寺で使う什器を焼いた窯だと考えられ、初山焼きと名付けられました。
実は宝林寺の開山より100年近く古いものでした。
器の種類には、日用雑器(碗、皿、擂鉢、徳利、水注)、茶道具(天目茶碗、茶入、茶壺、水指)、神仏具(花瓶、香炉)などがあり、多くは、天目釉(黒や茶色の鉄釉)がかけられています。
戦国時代後半の16世紀、愛知県瀬戸、岐阜県美濃では、大窯と呼ばれる窯が築かれました。
初山焼では、本格的な窯の調査はありませんが、おそらく大窯であったと考えられています。
また初山焼は、中津川市尼ヶ根窯のやきものと、器の種類と形の特徴がとてもよく似ています。
美濃の工人が移住して、初山焼を開いたのかもしれません。
島田市上志戸呂窯は、初山焼と同じ頃かやや遅れて開かれた大窯です。
八王子市八王子城では、瀬戸、美濃の製品に混じって初山焼きの天目茶碗と皿、上志戸呂窯の皿と擂鉢が出土しています。
初山焼と上志戸呂窯は、大窯製品の流通の拡大の中でともに開かれた窯なのです。
講演「概観 遠江のやきもの」
日時:10月17日(日曜日) 14時~15時30分
場所:浜松市博物館
<編集後記>
昨年の10月24日から11月8日まで静岡県を会場に第24回国民文化祭・しずおか2009が開催されました。
浜松市では主催事業として12事業が実施されましたが、みなさんは覚えていらっしゃいますか?
その中で一番インパクトがあったのが「城跡フェスティバル」でした。
興味のある方は、ぜひ文化財情報のバックナンバー(vol.20)をご覧になってください。
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