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更新日:2017年4月18日

秋野不矩画伯紹介

写真:秋野不矩肖像

秋野 不矩 (あきの ふく、1908-2001)

1908(明治41)年、静岡県磐田郡二俣町(現:浜松市天竜区二俣町)に生まれ、19歳で石井林響、次いで西山翠嶂に師事しました。
28歳の時に、昭和11年文展鑑査展で選奨を受賞するなど、早くから官展で実績を積み重ね、画家としての地歩を固めました。戦後間もなく、新しい日本画の創造を目指して「創造美術」(現:創画会)の結成に参加すると、官展時代の作風から脱却し、西洋絵画の特質を取り入れるなどして、人物画に新境地を開きました。
1962(昭和37)年、54歳の時、大学の客員教授としてインドに滞在して以来、インドに魅せられ、たびたび当地を訪れては、風景や人々、寺院などをモチーフに作品を描きました。また、アフガニスタン、ネパール、カンボジア、アフリカにも旅行して創作のアイデアを求め、93歳で亡くなるまで絵筆を取り続けました。
1999(平成11)年にはこれまでの業績が認められ、文化勲章を受章しています。

 

秋野不矩 略年譜

明治41年(1908)

7月25日、静岡県磐田郡二俣町城山(現:浜松市天竜区二俣町)に生まれる。本名・ふく。

昭和2年(1927)

千葉県の石井林響に内弟子として入門。

昭和4年(1929)

京都の西山翠嶂塾「青甲社」に入塾。

昭和11年(1936)

昭和11年文展鑑査展《砂上》入選、選奨(帝展の特選と同じ)受賞。

昭和13年(1938)

第2回新文展《紅裳》出品、特選受賞。

昭和23年(1948)

上村松篁、広田多津、吉岡堅ニ、山本丘人、福田豊四郎らと共に日展を離れて「創造美術」を結成。

昭和24年(1949)

京都市立美術専門学校助教授に就任。

昭和26年(1951)

《少年群像》で、第1回上村松園賞受賞。
「創造美術」と「新制作派協会」が合流、「新制作協会日本画部」となる。

昭和37年(1962)

インド・シャンチニケータンのビスバ-バラティ大学(現:タゴール国際大学)に客員教授として招かれ、1年間滞在。以後計14回インドを訪れ、インドの風土などをモチーフとした制作が主要なテーマとなる。

昭和41年(1966)

京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)教授となる。

昭和49年(1974)

「新制作協会」から日本画部が退会し「創画会」結成、会員となる。
京都市立芸術大学美術学部退職、名誉教授となる。

昭和53年(1978)

京都市文化功労者表彰。

昭和56年(1981)

京都府美術工芸功労者表彰。

昭和58年(1983)

天竜市(現:浜松市)名誉市民となる。

昭和61年(1986)

第27回毎日芸術賞受賞。

昭和63年(1988)

第1回京都美術文化賞受賞。

平成2年(1990)

第43回中日文化賞受賞。

平成3年(1991)

文化功労者顕彰。

平成5年(1993)

第25回日本芸術大賞受賞。

平成10年(1998)

天竜市立秋野不矩美術館(現:浜松市秋野不矩美術館)開館。

平成11年(1999)

第17回京都府文化賞特別功労賞受賞。
文化勲章受章。

平成13年(2001)

10月11日、逝去(享年93歳)。

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お問い合わせ

浜松市役所市民部秋野不矩美術館

〒431-3314 浜松市天竜区二俣町二俣130

電話番号:053-922-0315

ファクス番号:053-922-0316

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